世界冒険のメモ

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新疆ウイグル自治区の民族問題やウルムチで起きた暴動について現地で聞いた話

こんにちは。

 

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カシュガルで見かけたモコモコのラクダ 

 

本日は、デリケートなトピックである民族問題について書きたいと思います。

 

日本にいた頃に、日本語の書籍やインターネットで新疆ウイグル自治区について調べていましたが、新疆やウイグル族に関する情報もあまり多くなく、さらにその多くはウイグル族に対して同情的なものでした。

 

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 ホータンの絨毯

 

そのため、私も新疆へ行く前までは何となくウイグル族については何となく、虐げられていて可哀相なイメージがありました。

 

 新疆ウイグル自治区での民族紛争と言うと、2009年にウルムチで発生した暴動のイメージが強いかも知れません。

 

以下の写真は、2012年夏にSNSの「WeChat」で友達がアップロードしていた写真で、2009年の暴動時のものではないと思います。(SNSは情報が玉石混合ですからね)

 

 

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 これはウルムチの繁華街、人民路です

 

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私がウルムチにいた頃は、月に一度は新疆のどこかでテロが起こっていました。主に南疆で公安などを襲うテロが多かったですが、2012年前後はウルムチでも駅や市場で無差別テロがありました。

 

また、ウルムチ市内で公安がテロ組織を拘束した場合などは一斉にショートメールが送られてきました。その時期に私が見かけたのが上の写真です。

 

2009年、ウルムチであった暴動についてですが、現地では「七五(チーウー)」と言います。

 

暴動があったのが7月5日だったので、それにちなんだ略称ですね。

 

私は当時まだ日本にいたため、現場に居合わせた訳ではないのですが、ウルムチへ行った後で当時何が起こっていたか聞く機会もありました。

 

「七五」について、「あのようなこともあったよね」と言うような、やや突き放したトーンでなら大丈夫ですが、やはり公で話すのはタブーです。

 

詳細については話したがらない人も多いですし、どちらかと言うと何が起こっていたか、誰もはっきりわかっていないと言う印象を受けました。彼らも実際に目にしたことや知人から聞いたことを元に話しています。

 

断片的ですが、私が聞いたことは以下の通りです。

 

百度百科」と言う、中国のウィキペディアのようなサイトによると*1、2009年7月5日17時頃、200人余りが人民広場に集まったとあります。

 

ウルムチで、ウイグル族に限らず色々な人に聞いた話を総合すると、お昼過ぎから人民広場で何か起こっていたと思われるのですが、真相はわかりません。

 

とある新疆大学にいた子は、新疆大学の裏のある边疆ホテルの方で、まずいきなり爆発があった”らしい”と言っていました。新疆大学の前の勝利路でも車がひっくり返り、燃やされていました。

 

道路封鎖は比較的早くされたものの、そのために遠回りをして家に帰らなければいけなくなり、帰宅までにとても時間がかかったと言います。

 

人によっては、暴動発生当時(?)に、友達とウルムチの南エリアでご飯を食べていたものの、怖くなりお店のトイレにこもっていた、さらにその後一緒にいた時の友達の家に一緒に非難して、その後一週間程引きこもっていたと言う話も聞きました。

 

暴動の規模は瞬く間に拡大したようで、やはり特に少数民族の多いウルムチの南エリアではかなりひどいことになっていたようです。

 

実際に見た友達は、二道橋付近の至る小道で喧嘩や殴り合いが起きていたと言っていました。

 

たくさんの倒れている人や、信じられないことに亡くなった方の首が木に吊るされていたりもしたそうです。比較的普通のテンションで話す友達にもびっくりしました。

 

数日後からは早くも、漢民族ウイグル族を助けた、またはウイグル族漢民族を助けたと言うような感動的なドキュメンタリーがテレビで流れていました。

 

 その後新疆では、インターネットや国際電話も遮断され、インターネットに関してはその後1年数ヶ月使えませんでした。

 

国際電話は数ヵ月後に使えるようになりましたが、その前は北京にある日本大使館を通じて日本にいる家族と電話をしていたと聞きました。

 

私がいた頃、二道橋付近では、大きな信号(もしくは信号)ごとに防犯カメラが何台もついていて、夜になると数秒おきにかなり強いフラッシュがたかれていました。

 

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 単刀直入に、「ウイグル族の独立問題」として捉えた時に、果たして独立したいと望んでいるかどうかについてですが、それよりも日々の生活がより良くなることを望むウイグル族が多いと感じました。

 

もちろん、彼らは自分たちの民族としてのアイデンティティムスリムとしてのアイデンティティに誇りを持っており、中国政府の漢化政策を良くは思っていません。それらは大きな問題ですし、確かに中国政府によって彼らの文化や宗教が押さえられている感はどうしても否めないです。しかし、それと同時に、それが直接独立に繋がるかと言うとそれは別問題で、とても短絡的です。

 

「七五」についても、ウイグル族全体の意向を反映してのことより、一部の過激化した暴徒の起こしたことでしょう。日本と違い、民衆が暴徒し、暴動になってしまうハードルは低いです。

 

もしくは、南疆などの貧しく、あまり学もない若者たちが過激派組織からお金を与えられ、ウルムチで何か集まって暴れる(?)ように仕向けられたなどの噂を耳にしたことがあります。

 

「七五」以降は、公安も積極的にウイグル族を雇用するようになったと言います。「七五」が起きる前にウイグル語でショートメールなどが拡散されていたのですが、公安側が手薄であまり注意を払っていなかったためだとも、漢民族ウイグル族の経済格差を解消するためであるとも言われています。

 

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 カシュガルでやたら目立つ歯の看板

 

新疆大学大学院の卒業数ヶ月前も、ウイグル族の同級生が「少数民族の同級生はまだ誰も就職先が決まっていない。筆記試験をパスしても、面接での受け答えは(言語面のせいで)漢民族に劣る*2。銀行にしたって漢族を採りたがるし、幹部は皆漢族」と言っていました。

 

 

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ホータンのザクロジューススタンド 。その場で飲めるのは嬉しいが、種や皮の苦味でスーパーのザクロジュースの方が美味しかったりする

 

そう言えば、前回お話した、カシュガルの旅行社オーナーのAさんと新疆大学大学院の私達のクラスの主任である漢民族のS先生は、一見とても似たようなことを言っていました。

 

S先生は、「ウイグルは自分の文化を残しつつ、イスラムとどのように折り合うかを模索していけなければいけない」と言い、Aさんは「アラブのイスラム文化ウイグルの文化は違う。ウイグルの文化を守らないといけない」と言っていました。

 

 両者言っていることは正しいです。しかし、立場が違うと異なる響きを持って来るなぁと感じました。

 

 

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*1:

乌鲁木齐7·5打砸抢烧严重暴力犯罪事件_百度百科

*2:中国には中国語を母語としていない少数民族のためにMHKと言う中国語の試験があります。期間は2年間有効です。外国人にはHSKがありますね